わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。好きな映画や海外ドラマの感想や、覚えておきたい出来事など。食べることが好きなのでおいしいものについてもよく書きます。

息子のクラブに思うこと

息子(12)が中学生になり、入部するクラブを決める時期になった

最近ふと思うことのひとつに「高校生で帰宅部を選ばずにクラブに入ればよかったなあ」と、いう後悔がある

中学生のころ

中学生のころは演劇部に入っていた

入った当初、1年生はわたしを含めて4人、2年生は3人、3年生は4人在籍していたが、3年生のうち部室に来ていたのは1人だけという少人数のクラブだった

しかも、次の年も、その次の年も、2、3人しか入部者がおらず、ほぼ活動の場もなくて、文化祭で演劇を披露したのも、外部の演劇大会に出場できたのも3年間で1度だけだった

今思うと、工夫すれば少人数でも舞台は成り立つはずだが、なぜか「あ・え・い・う・え・お・あ・お」と、発声練習ばかりしていた思い出しかない

顧問の先生もほぼ部室に来なくて、先輩がいない日は1年生だけで途方に暮れたことも多かった

そのため、友人たちが毎日バトミントン部や剣道部などで一生懸命に汗をかいている姿や、試合だ、合宿だ、などという話を聞くと、演劇部とはちがって活発で楽しそうだったので「高校では絶対に体育系に入るぞ!」と、心に決めていた

そして、高校

が、いざ高校に入り、心機一転バレーボール部に仮入部をしてみると、毎日反省会があって驚いた

こんなに心の内面をえぐることを毎日するの?と、体育会系では当たり前なのかも知れないその反省会の雰囲気の重さに参り、結局5日間の仮入部のみでやめてしまった

その後、他の部にも入り損ねて、気がつくと帰宅部になっていた

 

当時は、高校の図書室が放課後に解放されていたので、その見晴らしのいい図書室のお気に入りの席で本を読んだり、下校途中にあるレンタルビデオ屋さんに寄ってビデオを借りたり、夕方バイトを始めてみたりと、自分の好きなように時間を過ごした

元々1人で行動することも好きだったので「これはこれでよかったか」と、それなりに楽しく過ごしていた

後々、クラブを辞めた友人もいたので、放課後に遊んだりして、当時は帰宅部になったことに対して全く後悔なんてしていなかった

今になってわかること

それが変わったのは、息子(12)が仮入部で楽しかったことからバレーボールが気になり、アニメ「ハイキュー」を一緒に見る機会が増えたことからだった

試合に向かってチームがひとつになって、別の学校との繋がりがあって、先輩や仲間との距離が縮まって、できなかったことができて、自分の世界が広がる感じ…

「ああ、もう、めちゃくちゃうらやましいー!」

そのどれもが、わたしが経験してこなかったことだった

わたしの目にはキラキラと眩しく映るその世界を見ていると、高校で帰宅部を選んだことが、今になってとんでもなくもったいなく感じるようになった

 

そのため、息子がクラブを選ぶ段階になった時に、「帰宅部はやめた方がいいよ。お母さんは帰宅部だったことを今すごく後悔しているよ」としかアドバイスができなかった

息子は無事、バレーボール部以外にもいくつも仮入部を体験して、そのたびにどのクラブに入ろうか真剣に悩んでいる

ひとまず、息子の中で「帰宅部」という選択肢はないようなので、わたしはホッとした

 

もちろん帰宅部だったゆえに、あのころに読むことができた本も、あのころに観ることができた映画も、回転寿司屋でバイトをした経験も、今のわたしを作った大切な経験ではある

今も好きな海外ドラマに出会ったのもこのころで、「ビバリーヒルズ青春白書」や「フルハウス」や「ふたりはふたご」などを繰り返し観たのも、あの時にしかできなかったことだ

だけど、やっぱり、みんなで目標に向かってひとつになって何かを成し遂げる経験をたくさんしてみたかったな、と思う

先輩や後輩といったしっかりとした縦の関係も築いてみたかった

学生という場所も時間も与えられた恵まれた時期に、いろんな経験をするべきだった

大人になってからは過ごすことのできない特別な時間が、あのころの自分にはあったのだ

 

きっと、息子は、わたしが出来なかったことを、これから経験するだろうし、そうであってほしい

わたしには経験がないから、練習着はどんなものがいいのか、水分補給にどれくらいの水筒がいくつ必要なのか、それすらもわからない

ほとんどのスポーツのルールさえちゃんと知らない

息子にはこれから、つらいことも、しんどいことも、悔しいこともきっとこれからあるだろうけれど、わたしにできることはただひとつ

「今しかできないことだよ!」と、励ますだけ

それが、元帰宅部のわたしにできる、ただひとつのことだと思っている