わたしのあたまのなか

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わたしたちの中学受験⑤ 5年生、テストに追われる

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zfinchyan.hatenablog.com

 

月に一度のテストが重くのしかかる

無理なら半年でやめようと息子と決めていた塾通いは、5年生に進級しても続いていた。

相変わらず塾から出される大量の宿題には追われていたが、要領を掴んできたのか、溺れるようにもがく姿はあまり見ないようになった。

(もちろん自分から積極的に宿題を片付けていたわけではなく、何度も声がけして渋々だったが)

宿題の苦しみの次に入れ替わりでやってきたのは、毎月のテスト地獄だった。

 

息子の塾では習ったことをどれだけ理解しているかが分かるように月に一度テストがあった。

4年生のころは、そのテストの点数は理解度の目安でしかなかったが、

5年生では、そのテストの点数がクラス分けに直結するようになった。

 

息子は、4年生の最後に受けたテストの成績が良かったため、5年生のクラスは教室内で約10人しか在籍できない1番いいクラスに振り分けられてスタートした。

1番良いとされるクラスから始まると、そこから絶対落ちたくないと思うのは自然なことだろう。

これに関して息子はとても気にするようになったし、夫もそうだった。

そのため、毎月テストが近づいてくると、休日の多くの時間を使って、夫と息子はテストに備えて勉強をするようになった。

時に、夫は声を荒げ、息子を口調荒く叱ったし、息子は泣きながら問題を解いた時もあった。もちろん、褒めたり丁寧に教えたり2人で穏やかに勉強をしている時もあったが、私の目には息子を怒る夫の姿が多く見られた。

この時期、私と夫は何度も何度も衝突した。もちろん向こうにも、隙があればすぐにだらける息子を鼓舞させたい気持ちがあってのことだったが、息子を傷つけるようなことを言うのは絶対に許せなかった。

当時、私と夫の仲は険悪だったし、離婚という言葉が何度も浮かんだ。

お互いに疲れていたことも、息子が大事だから衝突していることも、頭では理解をしながらも、お互いに歩み寄ることも折り合いをつけることができず、たびたび怒鳴り合う時期が長く続いた。

(後日この話を友人にしたら「腹立つ気持ちは分かるけど、口先だけで「勉強しろ」って言うんじゃなくて、実際に勉強を教えて息子くんに寄り添い続けた旦那さんはすごいで」と言われたので、確かにそうだな、と思った)

 

テスト勉強の担当分け

毎月のテストは4教科全てするため、気づいたら息子に教える教科をなんとなく夫が分けていた。

夫の担当は、理科と社会

私の担当は、算数と国語

わたしは文系なので、社会と国語ならなんとか…と思っていたため「算数はわたしも苦手やしちょっと…」と言ったら「俺も忙しい」と一蹴された。

こっちも忙しいわいと思ったが、話すのも嫌な時期だったので、無視をして、とりあえず算数を勉強し直すことにしたら、まあこれが難しいこと!

しかし、教えるためにはまず自分が理解できていないと進めない。そのため、息子たちがいない間に半泣きで算数のテキストを開き、必死に問題を解いた。

(その努力も虚しく、数ヶ月後、息子から「やっぱり算数もパパに教えてもらいたいんやけど…いいかな…?」と気まずそうに言われ、泣いた)

というわけで、

夫の担当は、理科と社会と算数

私の担当は、国語と、必要に応じて各教科のテキストやプリントのコピーなど(の雑用。でも雑用って一番大変だし、誰かが雑用をしないと物事ってうまく進まないよね?)

私自身は塾のことを

「息子の新しい居場所」として考えていたままだったが、息子と夫にとっては、違う場所になりつつあった。

 

息子、強化生徒に選ばれる

毎月しっかりとテスト勉強をしていた結果、息子は1番のクラスの在籍をキープしていた。

さらに、塾の本部からは、各教室から数名しか選ばれない強化生徒として、数ヶ月間の土曜日に別教室で授業を受けないかという提案が来た。

(強化、と言いつつ、その授業料は親が出すのだが)

強化生徒に選ばれたのは、頑張った結果の評価として嬉しかったが、目指している中学校もないので、辞退する方向で夫と決めていた。

しかし、ここでなんと息子が「強化の授業に出たい」と言い出したのだ。

なんでも塾の先生に「強化の授業に宿題はあるんですか?」と尋ねて「宿題はないよ」と確認が取れたので、「行きたい」と言い出したのだ。

宿題がなかったら、難しい授業も受けたいってこと…???

息子の許容ラインが理解できなかったが、自分が選抜メンバーになったのであれば、受けてみたい!という気持ちもあったのだろう

(結局、この強化授業は次元が違いすぎて、小テストは30点台を取るなど苦戦していた。しかし、息子はここで自分より上の生徒をたくさん見て刺激を受けたし、いつもとはちがう先生から習うハイレベルな授業も楽しかったようである。そういうところで楽しめるのは、素晴らしい精神力だと我が子ながら思う)

そういうわけで、息子の塾通いは平日週3回から土曜日を含めた週4回に増え、各日の授業時間も小4のころより長くなった。

さらに、テスト前の休日は勉強で埋まる。

夫も息子も唯一息抜きをできるはずだった土日の過ごし方が、いつの間にか変わって来ていた。

 

お迎えと晩ごはん

5年生になり、授業時間も授業日数も増えたが、それによって、私たち夫婦も負担が増えた。

というのは、夫は塾帰りの息子のお迎えのために、夜、車で駅に行かねばならないようになったのだ。

(4年生の時は塾からの帰りが早かったので、ちょうど仕事帰りの夫と一緒だった)

どんなに疲れて帰ってきても、さっさとお風呂に入って寝たくても、我が家は私が運転できないので(免許を持ってはいるが、10年以上運転をしていない)夫はたびたび仮眠を挟みながら、夜必ず息子を迎えに行ってくれていた。

そして、私も晩ごはんで悩むようになった。

なぜなら、週に3日、息子は塾で夜ごはんをお弁当で食べるので、献立が難しくなったのだ。

基本的には、私たちがその日家で食べる晩ごはんをそのままお弁当に詰めるようにしていたのだが、お弁当にするとなると

  • お刺身はだめ
  • 煮魚、焼き魚も匂いがつきやすいからだめ
  • 麺類も伸びるからだめ
  • さらに麺類は教室で啜るのが恥ずかしいからだめ
  • キムチ、にんにく系の食事も匂うのでだめ
  • 揚げ物も冷めたら美味しくないのでだめ
  • 鶏肉は冷めると固くなるのでだめ

などなど、献立=お弁当で考えると、意外と制限があることに気がついた。 

私は、大体日曜に次の週の献立をまとめて考えるのだが、何にも考えずに晩ごはんを作れるのは週に2日だけ。これが毎週続くのが本当にしんどい。

ぱぱっと麺類で済ませたくても「お弁当に持って行けないし…」とか、買い物に行ってお刺身が安くても「今日は塾だから無理か…」などと制限がかかる。

いっそのことと、割り切ってお弁当は別で作るようにしたら、息子に「みんなは晩ごはん何食べたん?」と、寂しがられたので、晩ごはんと同じメニューに戻した。

けれど、これが私は本当に面倒で、その制限がとてもつらかった。

 

中学受験する?

このころ、塾からのお知らせで各学校の見学会などのチラシがたびたび届くようになった。

オープンキャンパス、授業体験会、クラブ体験会、学校説明会、合同説明会、個別相談会、オンライン学校説明会…

中学校ってこんなに積極的にイベントを行ってたのか!と驚くほど、各学校であらゆる説明会がある。

時を同じくして、塾の面談でも

「中学受験は考えてなくても、この機会にいろんな学校の見学に行くのも楽しいですよ。息子くんは成績もいいし、いろんなところを見てみては?」

と言われたし、私たちも各学校のことを全く知らないな、とも思ったので、お出かけがてら軽い気持ちで様々な中学校のオープンキャンパスに行ってみた。

最初に訪れたA中学校で、息子は目を輝かせた。

「ここ、行きたい!」

確かにその中学校は息子の興味のある授業が紹介されていて、家からの距離もそんなに遠いわけでもなかった。しかし、まだ一校目。この時わたしたちの中では「確かにいい学校だね」という程度だった。

 

それからあと2校、B中学校とC中学校の授業体験会にも行った。こちらはあいにく共にコロナ禍のため一世帯の参加人数制限があり、夫と息子だけが参加したが、息子はやはり「A中学校の方が楽しかった」と言う。夫も「今日の学校よりは、A中学校の方が息子に合ってた気はした」と言った。

公立の中高一貫校はいくつかが合同でオンライン学校説明会が行われたので、家族で見たが、様々な要因もあり、特に興味は惹かれなかった。

他にも様々な中学校の資料にも目を通したが、めちゃくちゃ難しかったり、やたら遠かったり、男子校だったり(わたしたちは共学に行ってほしかった)なかなか「ここ、いいね」と思える中学校は他になかった。

確かにA中学校は魅力的だった。

中学受験、する…?

 

 

周りからの圧を受け流す

そして、この時期、息子の塾通いが続いていることを知った周りの友人、知人、そして親や親戚からも「中学受験をするの?」と聞かれる機会が一気に増えた。

が、私は、仲の良さや付き合いの長さも全て関係なく、親にさえも一貫して

「塾が楽しいし友達もできたから続けてるだけ!」

「受験はしないし、塾の周りの子もしなくても通ってるよ」

などと、様々な言い訳をして否定し続けた。

 

その理由には、志望校もぼんやり見えてきた状態で、本当に受験するのか決まっていなかったことが大きい。

また、息子に変なプレッシャーを与えたくなかったし、息子から「他の人に言ってほしくない」と言われていたので、それを守りたかった。

周りの知人、友人は決して口の軽い人たちばかりではなかったが、誰かに話せばどこかからはきっと漏れて広がることはわかっていた。

しかし、誰にも話さなかった一番の大きな理由は、3年生のころに振り回され続けたCくんの存在だった。

もし、誰かに話して、Cくんの耳に入ったら?

あれだけ息子に執着していたCくんが、息子と同じ中学を受験すると言い出したら?

以前のようにありもしない悪口を広められたら?

私が人に話したせいで、何かしら息子に良くない横槍が入ったら?

そんな不安があったので、とにかく口のチャック(古い)を固くギュッと閉めて、誰から聞かれても全て受け流すことに徹底した。

 

相手のことをどれだけ信頼していても、

どれだけ長い付き合いであっても、

同じ塾に通っている子のお母さんであっても、

それが好奇心からではなく心配してくれているから聞いていると分かっていても、

本当は何よりもたくさんの情報が欲しい時も、

同じ境遇の同じしんどさを分かち合って吐き出したくても、

心配してくれているからこそ、全てを打ち明けたくても。

 

心配してくれているのに騙してしまうことになり、とても心苦しい思いもしたし、散々悩んだが、私たち家族は、息子を守るために、塾の先生以外の他には誰にも明かさずに、受験の準備をひた隠しながら密やかに進めていくことにした。

 

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