わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。好きな映画や海外ドラマの感想や、覚えておきたい出来事など。食べることが好きなのでおいしいものについてもよく書きます。

元枚方市民として思うこと

2023年9月14日現在「ひらパーは岡田くんとの契約解消は慎重」というニュースを見て元枚方市民の私は思った。

「我々枚方市民はこれだけ岡田くんにお世話になっておいて、これを機に終わりを迎えるのか?」と。

ジャニー氏…いや、待て。なぜいつまでも犯罪者を愛称で呼び続けなければならないのだ?ここは喜多川氏と呼ばせてもらう。

喜多川氏がしたことは許せないことではある。被害者の人は苦しめられたのも事実だ。しかし、岡田くんが手を下したわけではないことも事実だ。所属する事務所の元社長が罪を犯したからと言って、岡田くんをポイとつまみ出していいわけではない。

元枚方市民の私は知っている。

どんどん廃れて行ったひらパーを。お客さんよりも係員さんの方が多かったひらパーを。

キャラクターも何もおらず、菊人形だけが有名だったころのひらパーを。

そして昭和生まれの私は知っている。

潰れて行った関西の数多くの遊園地を。

あやめ池遊園地、奈良ドリームランド、宝塚ファミリーランド、エキスポランド、伏見桃山キャッスルランド…

家から父の車に乗って連れて行ってもらえるところにあった遊園地は次々と閉園してしまい、きっとひらパーももうすぐ…と、誰もが思ったさみしい時期があっただろう。

しかし、ひらパーは諦めなかった。

可愛らしいキャラクターのピピンやポピーが突如現れ、寂れていた京阪電車の枚方公園駅が華々しくなった。


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ブラマヨの小杉さんがひらパー兄さんとなって盛り上げてくれて、楽しいCMやポスターがたくさん目に入るようになった。

そこに枚方育ちの岡田くんがまさかのひらパーに登場して園長にまで就任してくれて、完全にひらパーは息を吹き返した、と私は思っている。

私は子どものころからひらパーに連れて行ってもらった。

私が小学2年生の時に亡くなってしまったおじいちゃんとまだ幼い頃の私が並んで写真に写っているのもひらパーだ。

中学一年生になる前の春休みに子どもだけでひらパーに行った。男の子4人、女の子4人のWデートだ。ちなみに高校三年生の最後の春休みにも4対4のWデートで行った。(Wデートと言ったがただ楽しく満喫した)

枚方市民の成人式は私の時はひらパーで行われた。

無料で入園できてみんな振袖でただただひらパーの中をうろうろ歩いた。思い出の場所で写真もたくさん撮った。楽しかった。

そして、自分に子どもが生まれて、家族3人のころも4人になっても家族で行ったし、今は亡き夫のお父さんにも連れて行ってもらった。(ひらパーのあとは夫の実家でたこ焼きパーティーをした)

生まれて初めて出来たママ友と子どもたちと5年連続で毎年ひらパーに行った。


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それもこれも、ひらパーが閉園してしまわないように力を尽くしてくれた人がたくさんいるおかけである。そのうちの1人が間違いなく岡田くんだと私は思っている。

 

きっと様々な制約がある中で、岡田くんはひらパーを盛り上げてくれたのだと思う。京阪電車に乗るたびに中吊り広告が変わっているのが楽しみだった。

ひらパーの園長室ができた時は嬉しくて写真を撮ったし、園長という文字が入った缶バッジ入りラムネをお土産売り場で見つけた時は自分の分とお土産で4つ買った。(ちなみに園長パーカーはすごくいい生地で迷ったが、ひらパーの外では着ないだろうと思って買うのをやめた。しかしお土産物にしてはすごくいい生地のパーカーだったことを記しておきたい)

それなのに、ああ、それなのに!!

喜多川氏のせいで、ひらパーから岡田くんが去ってしまったら?

関係者全員不本意な中のお別れになってしまったら?

岡田くんは犯罪者ではないのに、まるで犯罪者のようにポスターがひらパーの中から撤去されてしまったら?

考えるだけで胸が苦しくなる。利用するだけして手の平を返すようで申し訳なくなる。

どうか、ひらパーには契約を続ける道を探ってもらいたいと願う。

 

しかし、もし、やむを得ず解消するにしても「海外ではこのような事務所の人物の起用は通用しない」とか「人権尊重を」なんてさも正しいことを言わないでほしいと思う。

だって、だって、そんなこと大昔からみんなうっすらと知っていて、それでも起用したんじゃないか!

もし解消せざるを得ないのならば、どうか、岡田くんの功績を称え、そして、夢半ばで手を切る無念さを存分に語ってほしい。

あらゆる言葉を使って、故郷の枚方を想ってくれた岡田くんに感謝を表現してほしい。

「被害者の方々には一刻も早い救済が受けられるように願っておりますが、私たちは岡田さんには本当に感謝をしています。できるならば、ずっと園長をしていただきたかった。しかしながら、子どもが夢を見る遊園地という場所柄、今現在の岡田さんが所属している事務所の対策では、逆に岡田さんが苦しい立場になるかもしれないと懸念しております。今は、一旦契約を休み、どうにか園長を続けていただける道を模索中です。岡田さんのおかげで息を吹き返したひらパーから、今度は岡田さん、いや園長のために我々ができることをする番です。」

と、言ってほしいと思う。

そんな元枚方市民の願いはただのわがままだろうか?