わたしのあたまのなか

わたしのあたまのなかの言葉を書きたい時に書く場所。好きな映画や海外ドラマの感想や、覚えておきたい出来事など。食べることが好きなのでおいしいものについてもよく書きます。

日々のつぶやき・4

ぽーんと放り出したい出来事や感情をだらだらと書いてみる

この前見た夢のはなし

寝室で夜家族で眠っていたら、2階から物音がして目が覚めた。

ハッと夫の方を見ると「聞こえた。誰かおるな」と言って2階に駆け上がって行った。階段の下で様子を伺っていると、2階から夫に蹴り飛ばされたらしい泥棒が階段を転がり落ちてきたので、すかさずわたしは用意してきた鉄の棒で思いっきり何度も殴る。

すると、泥棒が頭を庇いながら「殴らんでええやん!警察呼んだらええやん!」と叫ぶので「あ、確かにそうやな」と思いつつも「なんでお前に指図されなあかんねん!」と怒鳴り、殴り続けた。

騒動に起きてきた息子(12)が、床に寝転ぶ無抵抗の泥棒を殴り続けるわたしの姿に怯えながら「警察に電話しようか?」と言ってくれたが、それに対しての返事をするのに手を止めるのが惜しくて、こいつから目を離すのも怖くて、そのまま泥棒を殴り続けた。心の中で「110番せなあかんよな」とは思っているものの、いくら殴っても一滴の血も流れず、何の傷もつかない泥棒が恐ろしいし、腹立たしくて仕方がない。

「こいつ、なんで何回殴っても頭パッカーンって割れへんのやろ」と考えていた夢だった(猟奇的ー!)

...泥棒に入られる夢なんて、良くないことが起こるのではないかと思ったものの、無抵抗の泥棒をとにかく殴る夢だったので、なんとなく大丈夫な気はする。ただ、家の間取りがものすごくリアルだったのと、殴った時の感触や、鉄の棒から伝わってきた衝撃が起きた時にもまだ手に残っていたので「わたし、寝てる間にほんまに誰か殴ってきたんかな」と思ってしまった。久しぶりに見た変な夢だった。

 

好きな人と好きな人

ドラマ「アンメット」を観て以来、千葉雄大さんのことが気になってYouTubeに何かあるかな、と検索したら、わたしの好きなぺえさんと一緒に出ていたのでびっくりした。わたしはぺえさんのYouTubeを観るのが好きだが、最近はずっと野呂佳代さんと一緒の動画ばかり繰り返し観ていたので(野呂さんのおうちで豚バラ大根と栗ごはんを食べるやつとか)千葉雄大さんと一緒に出ていたのを気づいていなかったのだ。

好きな人と好きな人の会話を観ることができるってこんな楽しいんや!と観ている間中ずっとニヤニヤしていた。いい時間だった。

(今これを書きながら気づいたが、ずっと脳がテーマの「アンメット」を見ていたので、わたしは夢の中であんなにも泥棒の頭に執着していたのかもしれない)

 

おばけがこわい

(怖いお話が苦手な方は、読まないでください)

息子(9)が最近やたらと一人でトイレや洗面所に行くのを怖がるようになってきた。夜ならまだわかるが、朝や真昼間でさえ「ついてきて」という。あまりにもそれが続くので「何が怖いん?」と聞くと「洗濯機の隙間や、トイレの隙間から手が見える」という。

え?ほんまに?手??と聞くと、はっきりと手が見えるわけじゃないが、そういう隙間から何かがシュッと見える気がするという。

わたしは目を閉じた。恐れていたことが起きた。そう、わたしも幼いころから嫌というほど様々なものが見えてきた。というか見えてしまった。このわたしの体質が息子に受け継がれてしまったのか。

ただ、わたしはこの家ではおかしなものを最近見なくなったので「この家にはそういうものはいない」という確信があった。なので息子にこう言った。

「じゃあ、次に手みたいなものが見えたら言ってくれへん?」

息子は怯えながら言った「言ったら何するん?」

「その手を掴んで隙間から引っこ抜くねん」

「怖いやん」

「怖くない。引っこ抜いてこう言うねん。うちの家の隙間に住むんやったらなあ、おまえも家のローン払わんかい!!!」

 

幼いころのわたしは、今の息子と同じように手が見えた気がしてとても怖かった。母にそれを伝えても「気のせい」と取り合ってくれなかった。例えば、わたしの実家ではお風呂上りのドライヤーは絶対に洗面所で使わないといけなかったので、一人きりで鏡を見ながら髪を乾かすことは、当時は本当に恐怖でしかなかった。しかし、いくら母に「怖い」と言っても「さっきなんか変な人が立ってた」と言っても取り合ってくれなかった。だから、わたしは鏡と目を合わせないように、うっかり変なものを見ないように、毎日必死だった。

家の中でも他の場所でも絶対に気のせいじゃない物も見えたし、怖い出来事も不思議な出来事もたくさんあったが、わたしには共感してくれる人も、助けてくれる人もいなかった。

だから、息子からそれを聞いて、わたしは「気のせい」と言い聞かせるだけでは、息子の怖い気持ちが消えないことはわかっていた。

 

わたしの言葉に「おばけはローン払われへんと思うで」と笑った息子に、さらにこう続けた。

「おかあさんは昔からもうめちゃくちゃおばけが見えてん。だけどこの家では見たことないねん。だから、この家にはおばけはおらんし、君が見えるような気がする手は気のせいやと思う。でも、気のせいでも見えたら怖いよな?おかあさんは散々見てきてもう怖くないし、なんやったら何勝手に住んでんねんコラって腹立つくらいやねん。だから、見えたら教えてな。その時に声出すのが怖かったら、あとからでもいいし教えてな。お母さんが追い出したるからな」と、話した。

ああ、わたしも、小さい時にこうやって言ってほしかったんやなあ、と、思いながら。